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サイズ Size |
身幅 Body Width |
着丈 Body Length |
裄丈 Sleeve Length (from center neck) |
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S | 入荷待ち | - | - |
M | 56.0cm前後 | 59.0cm前後 | 82.0cm前後 |
L | 58.5cm前後 | 62.0cm前後 | 84.0cm前後 |
XL | 60.0cm前後 | 63.0cm前後 | 86.0cm前後 |
XXL(2XL) | 63.0cm前後 | 65.0cm前後 | 88.0cm前後 |
XXXL(3XL) | 入荷待ち | - | - |
スカジャンブランド「TAILOR TOYO」(テーラー東洋)世紀取り扱い店。
半世紀以上スーベニアジャケットを作り続けてきた「TAILOR TOYO」(テーラー東洋)
スーベニアジャケット(スカジャン)の歴史の始まりは1940年代後半。
戦後間もない当時、GHQによる経済活動の活発化を目論んだ政策として、日本の経済界を牛耳っていた一握りの財閥解体が行われた。
それによって誕生した会社のひとつが、生地などの輸出入を行っていた港商(港商商会)。
東洋エンタープライズの前身の会社である。
戦後の混乱の中、銀座界隈には米軍将校を相手とした露店が並び、そこで売られていた着物や帯など日本の伝統品を土産物として欲しがる米兵たちで溢れかえっていた。
露店街に集まる米兵たちの姿を目の当たりにし、港商の社員が考案したのがオリエンタルな刺繍を施した土産物としてのジャンパーだった。
アメリカ人に親しみやすいベースボールジャケットを模し、刺繍は桐生や足利の職人に依頼。当時は戦後の物資統制で絹糸の入手が難しく、生地はシルクに似たアセテートを使用した。
港商はそれを露店に向け販売し、瞬く間に人気を博す。
やがてそのジャケットはPX(米軍基地内の売店)の買い付け担当者の目にとまって日本各地の基地に納入され、その人気は海外の米軍基地にまでも及んだ。
当時の納品伝票には、“SOUVENIR JACKET”という商品名が記されており、このジャケットが後に「スカジャン」と呼ばれるようになる。
スカジャンの全盛期とされる1950年代、港商は納入シェアの95パーセントを占めるほどであった。
本サイトでは、港商から始まり長年にわたってスカジャンを作り続けてきたテーラー東洋(東洋エンタープライズ)が所有するヴィンテージ資料の一部を定期的に公開していき、その魅力を集約して紹介する。